短文以上長文未満の妄言

ただ書いていく。

劇場版アイカツ! 感想と考察

お前どれだけアイカツ!の感想書くんだよって思われそうだ。前回のものが簡単なメモ書きみたいなものだとすると今回は少し込み入った話をしたい。最後はライブは一体感で感じたことを書く。

ネタバレしかない

 

劇場版アイカツ!の何が良かったの?

アイカツ!の感想に「尊い」という文句を良く見かけるが、「尊い」と言ってしまえばそれで終わりとなってしまう。自分はそれが少し納得できていない。簡易なSNSならまだいいかもしれないが劇場版見終わって友人?らと「尊い」と言い合っている姿は中々奇妙である。

愚痴はこれまでにして、とりあえず私が思う劇場版アイカツ!の良さを書く。

 

一番は今まで積み上げてきた物語だ

例え話をする。架空のアニメの主人公が「よくも父さんを殺したな!」といった場面で過去の回想が入れば心にグッとくるかもしれない。しかしいきなりそのシーンから物語が始まったら視聴者は置いてけぼりだ。例え台詞の後に過去の回想が入っても満足に感動にできないだろう。

アイカツ!がやったのはその逆だ。むしろ主人公の父親が生まれるところから見せたぐらいなものだ。さらに言えば主人公のおじいさんの話までしている。そしてそれを見てきた視聴者は恐らく「よくも父さんを殺したな!」という台詞、そのときの表情が心に突き刺さる。

恐らく視聴者が想像するのは人それぞれ異なる物語の過去だろう。けれども見ているのは目の前の主人公。つまり視聴者とコンテンツとの関係性が重要なのだ。

つまりアイカツ!はその8クールの上で視聴者と関係を築いてきた。これが私の考えるアイカツ!の良さだ。そして劇場版アイカツ!ではこの関係性を惜しみなく使っている。だからこそ言葉にできない感動が生まれる。関係性などすぐに言葉にできないのだ。

細かい作りこみ

劇場版なだけあって細部がよくできている。キャラクターの表情一つにしてもふわふわしたり、きりっとしたり。語彙不足が辛くなるほどの描写の数々。特に神崎美月の引退宣言を受けたいちごのシーンは劇場版アイカツ!素直な感想 - 長文用にも書いたが印象深い。美月の発言、訳が判らない顔をするいちご。真剣な美月の顔を見てはっとするいちご。うつむいて指を動かす。「どうしてですか」と聞く。とうろ覚えではあるがここまでの流れがとても良い。まるで告白を断られ、やっと声を絞り出した感じの第一声。すべてが良かった。

この作りこみは脚本でも同様で、初見の人でも大体のキャラクター同士の関係性がみえてくるようになっている。それも全て言葉で説明するのではなく、表情や動作で示す。このおかげで初心者の人でも安心して見れる。個人的にも第1第2シーズンを知らない人がこの映画を見たらどんな感想を覚えるのか気になるところではある。

 

さて、劇場版アイカツ!の良さを書いたところで星宮いちごと神崎美月の関係について書く。

劇場版アイカツ!で何を観たのか

いちみづなのか?

名前の一部をとって組み合わせることでカップリングを示す。百合界隈などでたまに見られる習慣だ。劇場版が終わった後によく見られたカップリングはいちみづだ。劇場版アイカツ!は確かにそう思わせる内容だった。

劇中でいちごは自分を一番輝かせるステージで新しい歌を歌いたいと考え、恋愛の歌を中心に作っているシンガーソングライターの花音に相談を持ちかける。花音はいちごから「素敵な明日を迎えるため今日をよくできる歌を歌いたい」と聞かされ、後日歌を届ける。しかしその歌はいちごからリテイクを受ける。そのとき花音はいちごから美月への思いを聞き、それを「恋みたいな気持ち」と表現する。そして完成した曲の内容は花音の得意とする恋愛の歌になっていた。

ここまでされたら「もう「恋」じゃん、いちみづじゃん」と思わなくもない。しかしながら私はこれぐらい普通で何も騒ぐことがないと考えている。

アイドルって何?

アイドルって何?と考えたときに、答えの一つとして「恋をさせてくれる存在」というものが考えられる。ファンは頑張っている女の子を応援し、恋をする。恋い焦がれたあの子に会える、僕が応援する。そういった気持ちが関係性を強める。

そしてこれは「恋」を「強い憧れ」と置き換えても通じる。つまり私が言いたいのはいちごは美月に恋をしていたということだ。神崎美月に強い憧れを抱いていたということだ。これは本編で何度も主張されている。第一話で美月のステージを見たいちごは彼女に憧れアイドルになる。その後いちごは美月の言うことやることを肯定し、ずっとその姿を追いかけてきた。劇場版の引退宣言をした美月に対しても「告白を断られた様子で」声を絞り出したいちごはそれを否定はしなかった。むしろ今までの自分の憧れでいてくれた神崎美月に「ありがとうっていいたい、応援したい」と答えた。このセリフを現実のフラれた女の子が"本心"で言っていたら健気すぎてその子の前で号泣する自信がある。

トップアイドルである神崎美月においてはそんな「恋心のようなもの」は今まで多くの女の子から受けてきたものだ。けれども彼女にとって星宮いちごは特別な存在だった。劇中で美月はいちごに「私はトップの座を奪われたい」と言っている。彼女にとって星宮いちごは「トップの座を奪い取ってくれる」=「私の憧れになってくれる」=「私に恋をさせてくれる」かもしれない存在だからだ。

「輝きのエチュード」が伝えるもの

いちごの曲に話を戻す。花音が初めいちごに渡した曲が示していたのは「今までのアイカツ!」だった。「輝き」を追い求め「思い出」を大切にしまいながら追いかけるアイドル。これは今までの星宮いちごだ。彼女がさらにワンランク上を行くためにはこの曲ではダメだった。今彼女の追いかけているその「輝き」に並び立ち、追い抜かなければならない。

リテイクの時にいちごは今までの美月への思いを語る。本当に好きな人への思い。「美月さんは私の憧れだった。」この一言のインパクト。実は星宮いちごは誰にも真剣にこのことを言ってないのではないか。軽く言うぐらいなら誰にでもできる。ただその場面は真剣に思いを伝えなければならない。この状況で出たこの台詞の重さは測れない。

リテイクされた「輝きのエチュード」はまさに恋の歌。歌詞のすべてが恋する女の子の歌だ。「手をつないで欲しい」「貴方がいるから世界が色をくれる(意訳)」などなど歌詞カードを見ているこっちまでドキドキする。しかし曲調はゆったりとしていて穏やかに進む。恋のドキドキ感とは何か違う。しかしこれが星宮いちごから神崎美月への歌であることには間違いない。彼女は本当に神崎美月に恋をしていたのだろうか。

神崎美月の答え

「大スター宮いちごまつり」で「輝きのエチュード」を歌い終えたいちご。それを見た神崎美月は本心を語る。「新しい時代を見るのが怖かった」と。神崎美月にとってトップアイドルでいることがいつの間にか使命になっていた。彼女の「憧れ」とはさらに未来の自分。つまり自分で未来を作り続けなければいけない。それがトップアイドルでいること。

けれどもいきなりトップの座から降りるということは、自分の未来を誰かに託さなければならないかもしれない。もしかしたらもう誰かに憧れることができないかもしれない。誰にも恋をしてもらうことができなかもしれない。そういった不安が彼女にはあったのだろう。しかし「輝きのエチュード」はそんな思いを振り払い、彼女をまたステージに立たせたのだ。

そして「Let'sアイカツ!」これはもう彼女たちの思いが詰まっているとしか書けない。女の子一人の話ではない。輝きの向こう側がこのステージには詰まっていた。

話を元に戻して、本題の神崎美月の星宮いちごへの答え。ステージを終えたいちごに美月は「ステージよかったよ」と伝える。いちごは「恋の歌ですけど」。そして美月の「受け取ったよ」という答え。つまり、めでたく両想いとなったのだった。

アイドルがアイドルに恋をすること。

ファンがアイドルに恋をすればアイドルはレスポンスをくれることが多い。それは握手会でも良いし、その子が自分の応援を受けて頑張っているところでも、自分が書いた文章を読んでくれることでもいい。恋だから。

じゃあアイドルがアイドルに恋をしたらどうなるの?

ユリカ様のファン(スターライト学園の生徒)はユリカ様からレスポンスを受けている。けれどユリカ様はちょっと違う。ライブでファンのコールに答えるようなものだろう。実は一対一ではない、一対その他大勢の関係性。

恋なら一対一でしょ。そう考えたとき、ライバルであるアイドルにどんなレスポンスを求めることができようか。追い続けているだけではただのファンだ。ライバル同士でもあるアイドルならいつか憧れのその娘を追い抜かなければならない。アイドルであることを諦めなければ受け取ることができないレスポンス。逆にアイドルだからこそ受け取ることができるものもある。それは神崎美月が星宮いちごに言ったような「ここまでおいで」といったものだ。これは完全にトップアイドルだからこそ言える台詞だろう。同じ立場のアイドルでは絶対に言えない。トップアイドル限定の特別なレスポンスだ。

ということは神崎美月の答えはつまり世代の交代を意味するレスポンス。「受け取った」は「トップアイドルからのレスポンスを受け取った」。つまり「立場が逆転した」という暗喩だろう。あの瞬間に星宮いちごは神崎美月のアイドルになった。そういう意味での「受け取った」なのだ。

※追記

同じ立場のアイドルからのレスポンスもあるのでないか。例:音城セイラ「あなたがドなら私はレ」例2「一緒に頑張ろう」。これらはライバルとしての台詞だ。アイドルからのものではない。アイドルからファンへのレスポンス例:ひなき「じゃあ今日はひなが応援するよ、頑張れー」(注:111話の台詞。とても可愛い。)例2「いつも応援してくれてありがとう」。「応援している」に関しては劇中でもあるが、友達としての台詞である。

結局「恋」なの?―アイカツ!はろ過機ー

察しの良い人はすでに気づいているかもしれないが、アイカツ!の恋は「恋のような感情」であり「恋」ではない。私に言わせれば「恋」などもっとドロドロしている自己愛の結晶だ。そんなものをアイカツ!に持ち込みたくないという意味で、すぐに反応してカップリングしちゃうのは……という気分になる。いや百合大好きだし「キマシタワー」とか言ってますけども。

アイカツ!において「恋」という感情は「悪い物を消し去った世界」というフィルターによって限りなくピュアな物にしあがっている。だからあれは「恋」ではない。言ってしまえば「強い憧れ」だ。「恋」は「強い憧れ」に「自分」を足したもの。

逆に言えばアイカツ!の「恋」には「あなた」という存在がただ純粋に存在しているのだ。ただ純粋にその人を追いかける、その人のことを考える。相手は自分にレスポンスを返してくれなくてもいい。そんな純粋な憧れがアイカツ!では描かれていると主張したい。

「それが百合だ!!」とか言われると反論したくなるがそれはまた別の話。

これからのアイカツ!を考える

ともかくアイカツ!における強い憧れが交代する話は次世代に受け継がれた。次はいよいよ大空あかりちゃんの出番だ。劇中の最後星宮いちごの「おいで」は何度聞いても感動する。あれこそトップアイドルになった星宮いちごがファンであり今自分を追いかけている女の子にあげることができる特別な最上級のレスポンス。それに対して瞳の輝きで答えるあかり。その意味を理解しているのだろう。

大空あかりの周りには瀬名翼とかいう少し気にかかるデザイナーがいる。あかりと仕事は違うが近い世代でさらにはイケメンときたものだ。アイカツ!では「恋」が描かれることはない。実際に涼川直人と星宮いちごの間にはそのようなことはなかったし、今後もなさそうだ。ただ瀬名翼は近い(世代的にも立場的にも劇場版の物理的距離的にも)。もしアイカツ!で恋が描かれるのならあかりちゃんだろう。彼女はまだ完全なアイドルではない。劇中の「ウォータースライダー」の反応のように、未だ一般字で等身大の女の子が見え隠れする。彼女の中でファンとしての星宮いちごを捨てられたのなら、もしかしたら。けれどもそれがある限り瀬名あかの可能性は捨てきれないのが私の現在の解釈だ。

※追記

もしかしたらそのファンであることを捨てきれない、一般人的感性があかりちゃんの輝きなのかもしれない。

 おまけ1 神崎美月と他のアイドル

簡単に考えたこと。最初に「SHINING LINE*」から始まる劇場版アイカツ!だがこの曲をざっと説明するとアイドルがアイドルを追いかける曲だ。この曲を冒頭で流すことは101話とのつながりにもなるが、それと同時に神崎美月に憧れる他のアイドルを表現していたのかもしれない。つまり「SHINING LINE*」の「私のストーリー」は「神崎美月の物語」。「知りたい」のは「神崎美月に憧れたスターライト学園の他のアイドル」と解釈することができる。そして神崎美月の話に繋がる。ラストは今までのエンディングのmixとなっている。そして最後に流れる「Precious」神崎美月の歌。もしかしたら神崎美月に憧れ彼女を追いかけ続けたアイドル達への最後のレスポンスがこの曲だったのかもしれない。

 おまけ2 輝きのエチュード

書いてて気づいたが「輝きのエチュード」は美月の視点に立っても同じように読めて、よくひねられている曲だった。

 劇場版アイカツ!特別上映会 ライブは一体感 感想

ここまで書いたら最後まで書きたいので。

これを見終わった瞬間に私の中で劇場版アイカツ!が一区切りついた。あそこまで感情をぶつけて映画を見たのは初めてだった。もし初めてあれが初見だったら大変だっただろう。

なぜ区切りがついたかと感じたのはまさにライブを体験できたからだ。「大スター宮いちごまつり」が始まるまでの本編は今まで通りTwitterで飛び交う感想を聞いているような感じだ。けれども「大スター宮いちごまつり」が始まった瞬間、会場が一体感を持ち始めた。あれはよかった。騒ぎたい奴が騒いでもライブだから大丈夫。それでもドラマパートは静かだったり、劇中に合わせて笑ったり。とにかく「大スター宮いちごまつり」を自分が体験したいという気持ちが作りだした空気が最高だった。そしてそれを経験した私にとって、あの「大スター宮いちごまつり」を超える「大スター宮いちごまつり」は実現できないだろう。

アイカツ!コンテンツの良さ。最後の一つは他のファンたちが2次元のキャラをこの世のものとして扱おうとしていることだと思う。これはもはや宗教だろう。いないものをいるのだと信じようとしているのだから当然だ。そして運営側もそれに答え「LIVEイリュージョン」や「紅白アイカツ合戦」といったコンテンツを与えてくれる。ファンは全力で楽しむ。それがアイカツ!というコンテンツを成り立たせている一つの柱であり私が好きな部分だ。

マナーが必要というのは当然だが、その中で皆が楽しむ。それは楽しいアイカツ!を私に示してくれた。ありがとう、アイカツ!