短文以上長文未満の妄言

ただ書いていく。

映画「聲の形」感想のようなもの

この夏、偶然降りた駅が舞台だったから、それともCMがガンガン流されていたせいか、もしくはたまたま原作を手に取ったからか。ともかく色々な流れで「聲の形」の映画を見に行ってきたので感想など。

 

 

「聲の形」感想

本作品で気にしていたのは、原作全七巻を2時間以内にどう収めてくるんだというところだった。石田将也と西宮硝子の二人を中心に周りはあまり無いかなとは思っていた。実際そんな感じではあったが、その二人のうちに西宮結弦を加えた3人の視点で進む物語であった。

主軸である石田将也が他者を受け入れる話を中心に、硝子が自分と向き合うまでの話、そして結弦から見た西宮家といったところだろうか。そのために将也の周りの話は省かれたところが多かった印象だ。結果、生まれたのはある意味「別世界線」の様相をした物語だった。もっと見たい話(映画とか)やキャラクターの心情を追いきれない部分(佐原、真柴あたり)が原作を読んでいるとちらついてしまう。けれども、2時間終わってしまうと意外に流れはすっきりしていて、これはこれでありだと思った。いや、もっと植野直花ちゃんをピックアップして欲しかったよ。

 

全体を大まかに3つに分けると、まずは主人公が自殺を決意した日から始まる序盤パート。

小学生編では特に、シーンの切り替えが多かったため、気持ちよく見れた上に、シリアスな展開での行き詰まりはあまり感じなかった。けれども、キャラクターの台詞は少なく、その台詞もその後中心となるメンバーがほとんどで、クラス全体での情報が少なくなりがちだったように思える。その分、将也と硝子の転校前の喧嘩は、見ごたえがあるというか、彼女の気持ちを描写する上で十分な表現だったように思える。この顔が割と重要で、この後も硝子の顔描写は柔らかく丁寧にだった。

中盤は現代での石田将也、西宮硝子との出会いから仲間?内で亀裂が入ったシーンまで。会場の雰囲気的には、面白い動きを見せる永束友宏(永束君)が輝いていた。気になった点は、硝子との出会いをはじめ、ピリッするはずのシーンで空気が少し柔らかかったところだろうか。そんな印象を持ったのは、西宮母とのやりとり、遊園地のラストや映画撮影の部分が省かれてしまったからかもしれない。まぁ、植野直花ちゃんが可愛かったから良いでしょう。

終盤は、おばあちゃんの話から怒涛の展開とまではいかないが、必要な要素を着実に、原作とは角度を変えて話を打ち込んでいた。特に映画撮影をなしに話を進めることで、硝子が周りの人を集める言い訳じみた理由がなくなったと思う。ラストカットまでの演出は徐々に前を向く、段階的でゆっくりとしたものだった。そのおかげで最後の将也の涙にはじんわりと胸に迫るものがあった。

やっぱり欲しかったエピソードもあるのだが、全体としては誰を映すかわかりやすく、とにかくわかりやすかった。また、どのシーンに肩入れするかを楽曲で示すのではなく絵で表現しようとしていた。「ここで主題歌!」というタイミングではなく「ここはこんな心情だからこんな感じ」で選択していたのだろうか。西宮硝子の告白シーンでaikoの「恋をしたのは」が流れるわけでもなく、橋の上での石田将也の台詞でも流れるわけでもなく。そういう意味では「だ、だまされたーっ!!」とPV作成者に恨み言をぶつけたくならなくもない。

 

適当にピックアップした感想のようなもの

石田将也のラストカットまでの流れについて

まず前提として「生きるのを手伝って欲しい」が愛の告白ではないというところから話を始める。目の前で死にかけた人に告白なんて、どれだけ自分に自信があるんだって話なんですよね。むしろ改めて二人を繋ぐ友情!な言葉なのではないか。

まず彼のおかれた状況を整理する。小~中といじめにあった(インガオーホー)な彼は若干対人恐怖症(と言っていいのだろうか)な状態にあった。いわゆるコミュ障ってやつだ。話せるが顔緒を見ることができない。自ら他人の声を作りだし、低い自己評価で自らを規定していた。それは身の回りの相手を知ろうとしない受け身の状況でもある。そしてそういった他人とは物理的距離も心の距離も遠い位置にあり×印がつけられる。

しかしながら、母親や姪との距離感はそれほど遠いわけでもなく、さらに言えば、ある程度心を許した存在にはきちんと×は取れたりする。それが彼の距離感だった。その距離感は西宮硝子に出会い自ら友達、他人について考えることで広がっていく。

広がってはいくが、その判定基準はシビアだった。植野直花が良い例だろう。彼女の初登場は不意打ちだったからかある程度、受け入れられる距離にあった。しかしながら、過去のしがらみが出ると顔を見ることができず、さらに彼女がやらかすとすぐに顔に×がつく。これが彼の距離感なのだろう。そんな、将也の距離のラインギリギリにいるキャラクターが植野だったともいえる。そして、こうしたライン引きはラストの植野の顔から×が取れるまで続く。

植野同様、人の懐にずかずか入ってくるキャラクターとして描かれていたのは永束友宏もだ。彼自身が将也と似たような状況にあり、近かったというのは、永束登場あたりの描写で読み取れる。彼との距離は微妙である。植野と逆に一方的な好意を隠さずに接し、一方的に友情を迫る。彼が友情!と言っていれば何もしなくても友情!なのだ。それは物理的な距離は近いが心の距離は少し遠いという感じだろう。

一番近くにいた硝子と結弦は彼が知ろうとした他者の代表として描かれている。硝子を知ろうとすることから、彼女との距離を必然的に近づけようとする。結弦もまた彼女に近い存在として、また彼女を気に掛ける存在として、許しているところがあった(多分姪と同じぐらいの近さであったのだろう)と想像できる。

その状況で、遊園地に行った将也は友情!みたいなものを感じるぐらいには社会復帰する。しかし、次の展開で川井みきから「過去の自分の行いがばらされる」経験をし、他人から拒絶されてきた過去を思い出す。それは人に受け入れられていたと思っていた自分を容易に退ける。ここで元の距離感を取り戻したのだろう。

ここまでで、石田将也青年が序盤と比べて、あまり他人との距離感を縮められていないという流れになっている。しかしそれは輪の外の他人の話であり、輪の中、つまり自分の近くに置いた人に対してはその限りではないことがわかる。そして、硝子を通じて「他人について思うこと」は確かに彼自身を成長させていたのだと思う。

けれども彼が硝子の本心に気づいたのは彼女が自殺しようとした姿を見てからだった。

その後、彼が見届けたのは自分の意志で生きようとする硝子の姿だった。

ということで、例のシーンに飛ぶ。

このとき彼にあった情報は「自殺をしようとした硝子」と「自殺を思いとどめて今そこにいる硝子」というものだった。これは序盤に彼自身が自殺を思いとどめた状況と繋がる。彼が伝えた「生きるのを手伝って欲しい」。それは、あの時の彼が誰かに言って欲しかった言葉ではないだろうか。そしてその言葉を伝えることは、自らの母親にさえ言うこともできないような、彼の一番弱い部分を曝け出す行為だった。

一方で彼自身を示すような言葉は、他方で彼女を思いやった結果である側面を持つ。仮に「これからも生きていて欲しい」と将也が伝えたとしよう。それは、自らは関与せず、一切を相手に押しつける、それこそ身勝手な言葉にならないだろうか。「生きるのを手伝って欲しい」は「助ける側」と「助けられる側」、二人がいてようやく成立する言葉である。自分の持っていたモノを失い絶望した二人だから通じる。失わないモノを感じさせてくれる、相手を思いやる言葉ではないだろうか。つまり彼の言葉は、彼が自身をもって伝えらえる、独りよがりだが、相手のことを最大限思いやった本音であり、彼の一番弱い部分だったのかもしれない。

と、ふわふわしたことを書いたが、相手(西宮に限らず)を自分の都合よく解釈していた今までの自分への反省と、まず手始めに、目の前の相手を理解しようと努めようとする最初の一手が本音で向き合うことだったということだろう。(結弦の時は小さい声だったね)

自殺をしようとした彼が思い出したのが、硝子が持っていた「生きる手伝いをしていたノート」であったため、そうした言葉を引き出したのかもしれない。

ラストシーンに移る。あとは自ら世界に近づく話。場所はトイレという小さい場所から徐々に外という広い場所へ。それは段階的であり、徐々に広がる世界に向かって進んでいく様子が描写されていた。

外に出た将也は周りの声に耳を傾ける。自分に注目した声、全く関係のないことを述べた声。それらの中に自分の近しい人たちの声を聴き、明確な形となって彼の頭を埋める。それが彼自身に向けられた形であり、彼が新たに手にしてきたモノたちだった。知ってはいたが、気づいてはいなかった新しい世界の始まりにようやく立てた。彼は涙する。彼が発したそれは、新しい世界に対しての歓喜の産声だった。

西宮結弦の見た世界

聲の形のもう一人の主人公であった結弦、西宮家と石田将也を結びつける点だけでなく、彼女は西宮家を見る視点として登場する。

西宮硝子を見守る存在として、将也が見ることができない視点を彼女の視点を通して伝える。その姿はより近しい相手にしか見せないものである。彼女を見守り、さらに硝子に「死ぬな」と伝えようとする。その一言を、死体の写真を張りまくった気持ち悪い部屋を作って伝えようとするのだから、遠回りもすぎるだろう。しかし、それは彼の伝えようとしたモノの形であった。伝えたいモノとイメージの関連性はラストシーンの将也のイメージと重なる。主題と主人公を結びつける、イメージ喚起の役割も担っていたともいえる。

また彼女は西宮母の側面を見る。不登校で母親に反発していた描写のあった結弦は、自分への視線を向けようとするキャラクター像も持っている。そんな彼女が見てきたのは、近くにいてもちゃんと見ることのなかった母の姿だった。一つはビンタシーンだろう。原作では西宮母のビンタは手と顔が正面から映るような構図だった。しかし、本作品では結弦から見た母の視点となって伝わる。それは客観的でありながら、「母が人を殴った」事実を知りえる主観的視点でもあった。最初は将也を叩くシーン。自分を保護した人への容赦ない一撃であり、「家出した娘と一緒にいるあの憎たらしい男」という娘(硝子と結弦)の代わりに与えた拒絶の意味合いを持ちうる。

2度目は植野と叩きあうシーン。結弦を入れた3人が枠に収まっており、視点というよりは状況説明が強かった映像ではあった。結弦からすれば知り合いの女性と母が叩きあっている事態であり、何もできない彼女は涙する。2度に渡り結弦の目に映った母親の暴力。しかしそれは、自分の娘、姉も妹も同じように守るという点で共通しており、それを感じた彼女は涙した。そうとらえるのはどうだろうか(どうだろうかも何も「止めなきゃ」って言ってるし、キャットファイトが突然始まったら、私も怖くて涙目にはなると思う。)

 ということで、母が自分と姉を同等に扱っていたことに気づいた、さらに言えば様々な母の姿を見た結弦は、自分を姉と共にいる存在ではなく、一人の西宮結弦として再スタートしようとする。そんな話だった。

植野直花ちゃんを見てください

本作のメインヒロイン(偏見)である植野直花ちゃんについて。

可愛い点1「マジ、ヤバ、本当に来た」

変装の理由付けのシーンであるが新規追加のため非常に可愛い姿を見ることができたため、感謝。

可愛い点2 顔が映らない理不尽さ

西宮硝子との対比だろうか、硝子は顔の描写が多くそれも丁寧で柔らかさを持っていた。しかしながら、植野直花ちゃんの顔には基本的に×もしくは視点が身体で声が彼女を象徴するようになっていたかな?そうではなくても身体の感情表現は、彼女の言えない本音が見え隠れする描写として十分であった。身体で表現しちゃうんですよ。

可愛い点3 脚

植野直花ちゃんの脚!石田君が相手の顔を見ることができないために、仕方なく映ってしまった脚!ありがとう石田君!

首からカメラをぶら下げているから脚!原作では全体が映っていたけど、それは観覧車の大きさ的にどうなのというところがあったのだろう。ありがとう結弦君!ありがとう京アニ

 

結論:植野直花ちゃんの脚が良かった(*´▽`*)

 

最後が脚だとさすがに辛いものがある

許される物語として

パンフレットに会った「見た人が許される」というフレーズに少し引っ掛かりを感じたので。許されるというのは何が許されるのだろうか。所謂「いじめ」だろうか。実際はパンフレットに書いてあったりするのだが。

書いてはいるのだが、私は、いることを許されるという話なのだと考える。本編では例えば、西宮母の誕生日会のシーン。原作と比較すると少し無理矢理な展開ではあった内容。しかれども、西宮母が将也を威嚇しつつも、帰らせずに迎え入れたのは、彼の罪が許されたからだろうか、と考えるとそうではない。恐らく彼は一生恨まれ続けるだろう。だが、あの場で彼を排除することはない(流石おとなー!)。この態度こそ「いることを許される」ことを示している。相手をその場から追い出すのではなく立ち向かう、そのように描かれていた西宮母だからそう映ったのかもしれないが。

「いることを許される」のは相手から受けるだけではない。それは世界からも受けうる。「あなたはそこにいますか」と言われたら「ここにいるぞ」と殴り掛かろうとするがごとく。私が私でありながら「この世界にいることを許される」。誰もがその感覚になれるような、肯定的なニュアンスが、最終的に石田将也の行きついた先と合わせて訴えかけてくるような作品だったのではないだろうか。

恋の物語として

この作品ってどこまでが恋なんですか。私も正直よくわかっていない。「友情」がわからなかった石田将也に「恋愛」ができたのか。西宮硝子の感じていたのは本当に「恋心」だったのか。色々あるけれど、これだけは言えそうだ。誰かのことをもっと知りたいと欲すること、それはある意味で恋に近いことなのかもしれないと。(最近どこかの作品でも見たし)。

まとめっぽく何か

「スタートライン!」って書きたいだけのまとめ。3人の主人公を主軸に描かれた本作品、三者三様のスタートラインにようやくたどり着いた。これからの人生が彼らを待っている!未来は明るい!とかは言い難いが、何とかなるんじゃない?とは思えるぐらいに前向きな作品であった。実用面では、意識してみると演出の緩急に引き込まれて良かった。しかし、全体的には平たんなので安心して見れるためか、作業用のBGMに円盤欲しいなとか思ったり。

 
余談:大垣駅に行ったら、とりあえず水まんじゅうを食べたらいい

 駅から徒歩1分の「金蝶園総本家」の水まんじゅう、美味しかったです。

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スタートライン!/episode Solo(TV Size)(TVアニメ『アイカツスターズ!』OP/EDテーマ)

スタートライン!/episode Solo(TV Size)(TVアニメ『アイカツスターズ!』OP/EDテーマ)