短文以上長文未満の妄言

ただ書いていく。

「デレマス」「艦これ」4話の感想と比較 

2015年のアニメが始まり2大ビッグタイトルが放送されている。一つは「艦隊これくしょん-艦これ-」(以下艦これ)もう一つは「THE IDOLM@STERシンデレラガールズ」(以下デレマス)だ。

前回の3話を受けて物語がどのように動くのか、それが描かれていた4話の感想と比較を行う。

 ネタバレあり

 

 

これが皆が待っていた「艦これ」? 艦これ4話感想

轟沈をどのように処理するか、答えの一つ目は轟沈は軽い物ではなかったということだ。これはゲームと同じ。アニメでは冷静に対応しようと早口で話す長門や悔やんでいる夕張がそれを現す。駆逐艦も轟沈を受けて上の空になっていた描写が入る。それに引き替えから元気な睦月。ある意味君のせいでもある。そしてそれを心配する妙高重巡妹3名。那智の台詞「これだけは時間が解決――」は少なくとも重巡を含む何人かは他の艦娘の轟沈を経験していることを暗に示していた。

次の瞬間、雰囲気は先ほどと打って変わって島風を含んだ金剛4姉妹との和やかなムードになった。吹雪の考えたカッコイイ金剛。飛び込んできた提督Love、3カメ。崩れる理想の金剛まではお約束のギャグパターンだ。金剛4姉妹の自己紹介は原作の台詞を使いながらも違和感なく織り込んでいて、声優の演技と脚本家の力を見た。「それにしてもこの4姉妹なぜこのキャラ付けになったのか。」そんなことを考えるも、これはこれで無粋だった。さらに舞台は一転自室に戻った吹雪は岬から帰ってきた睦月と向かい合う。しかしながら言葉が出てこない。重い空気。

CMがあけるとさらに雰囲気が一転、一体何回転するのだ。島風を探すために金剛のライブシーン。ステージの周りに人が集まらないのは作画の負担軽減だろうか、それとも単に4姉妹が避けられているのか。そして対抗馬に現れる那珂。やっぱりそうきたか。その後も金剛姉妹ごとに分かれたエピソード。大井北上はノルマなのかと考えつつも、なんだかんだで楽しいエピソード。これが皆が見たかった「艦これ」なのではないだろうか、ふとそんなことを思う。自分の好きなキャラが出てワーキャーやっていれば波風立たずに始まり、終えられたはずなのではないか。これに関してはおそらく「デレマス」「艦これ」1話の感想と比較 - 短文以上長文未満の妄言で書いたようにアニメ化したかった部分の違いだろう。

後半戦は戦闘。どんどん敵を倒していく。しかし前線に出すぎた吹雪もしかして轟沈かと臭わせたところで鉄拳で敵砲弾を飛ばす 金剛。流石戦艦強い。ここで吹雪の思いと金剛の思いを知る。金剛「ちゃんとわかりますよ」。吹雪「そうかそうなんだ」。おそらくここにこれ以上の言葉はいらない。今まで態度で示してくれたのだから。

そして無事帰島した吹雪は再び睦月と向き合い、無言で抱きしめる。金剛が吹雪にしたように。

今回で少し気になったところは1話冒頭の「在りし日の艦の魂を受け継ぐ」といった部分をどのように処理するかという部分だ。OPの赤城加賀の前などからも今後何かしら関連付けるかもしれない。

また今回で重巡洋艦(妙高4姉妹の妹)が駆逐艦の指導をしていることが判明した。なぜ戦艦ではないのかと考えると答えは簡単でゲームシステム上のギミックつまり装備がほぼ同じだからだろう。大きさには違いがあるが同じ種類を装備できるという点が大きい。

少し深読みする4話

艦これ」4話は何回かの場面転換とテンションの落差が激しかった。その理由を考えてみたい。今回の話のキーポイントは金剛が吹雪を救うシーン。ここから逆算すると話は見えてくる。

まず吹雪は如月の轟沈を受けて何を知ったか。それは「轟沈」という「戦いにおける事実」だろう。それは自身ももしかしたら今後直面するかもしれない「現実」であり、「恐れ」である。それがよく出ているのは睦月と向き合ったシーン。いずれも睦月に対して何か言おうとするも言い出せない吹雪。これはもちろん睦月に対して如月が沈んだという事実を突きつけるのを臆していると言う意味合いもあるが、同時に吹雪自身がその現実と向き合うことに臆しているのだ。だからこそ言い出せない。そこで助けに出たのが金剛を中心とした4姉妹。

指導教官なら妙高4姉妹なのかもしれないが、妙高4姉妹は「(自分たちではどうすることもできないので)時間に任せる」ことを選び、金剛は「自分たちが守るから安心してもいい」ということを伝えた。そもそも立場が違うというのと金剛型がエース級という肩書きだからこそ使える言葉だろう。また金剛のアプローチは「吹雪を救う」ことで「睦月を救う」という方法だ。睦月はもうダメだ、というよりは聞く耳を持たない。それなら吹雪を救おう、と合理的ではある。

金剛の選んだ道は吹雪を回復させること。それは何度か垣間見える。最初の出会い「私たちが付いているからノープロブレム」という言葉を言った金剛とそれに反応する吹雪。このあと睦月と向き合った吹雪が教室のときよりも言葉を多く紡いだのが少しずつ回復している雰囲気。その後感想に書いたとおり騒ぎ立てる金剛たち。特に顕著だったのはライブシーンの意味を説明するシーン。

金剛がライブを説明したシーンは部屋に閉じこもった人を外に出すという説明だった。コミカルに描かれていたが、このシーンが4話を物語っていた。閉じこもっていた人=吹雪を演奏(楽しいこと)で部屋の外に連れ戻そうとするシーンは天岩戸の話と同じだ。アマテラスはスサノオの暴挙に絶望し洞穴にもぐり岩を塞ぐという話だが、今回は吹雪が現実に絶望し気づかないうちに轟沈の恐怖に囚われている話。それをあれやこれやと手を尽くして呼び戻そうとする金剛。言わずもがな、戦闘の金剛が吹雪を抱きしめるシーンでようやく吹雪は今までの金剛の振る舞いの意味を知る。そして「そうかそうなんだ」である。

帰島した吹雪は睦月と向き合う。このとき吹雪は「轟沈すること」「轟沈された人の気持ち」「それを助ける人には何をすれば良いのか」を知り、向きあっていた。それを持った吹雪が次に睦月を抱きしめる。その気持ち、思いは痛い。現実と向き合うことは痛いのだ。互いが互いの「現実」を映すある意味鏡のような存在。その「現実」と何とか向き合えた二人は、最後に「おはよう」と挨拶を交わす。お互いに新しい世界と向き合った新しい自分への挨拶。それが「おはよう」だったのだろう。

 もう一歩考えてみる 誰のための4話か

今回轟沈回からある意味でギャグ回となった。そして先ほども述べたとおりその下では吹雪の救いの話も進んでいた。この構成にもう一つ意味があるのならそれは視聴者の救いだろう。先日発売された「Febri vol26」を読めば制作陣が「艦これ」に対して理解があることがわかる(提督が多数いる)。恐らく制作側も3話の轟沈回が何かしらの影響を及ぼすのだと想像付いていたと推測できる。なら彼らを少しでも救うにはどうしたら良いか、それが金剛姉妹だったのだ。

提督室のシーンで提督が不在だったのも、もちろんギャグとして成り立たせる意味があったのだろうが、それに加えて視点を変更させるという効果もあった。提督=視聴者という視点を視聴者=吹雪とさせることで同時に救う。その通りライブシーンに入った吹雪、また視聴者は困惑しただろう。そのようについていけない場面を作ることであえて吹雪と似たような気分にさせる。そして極めつけは戦闘後のシーン「私たちがいるから大丈夫だよ」と言った金剛4姉妹はこちら(視聴者+吹雪)を見ていたメタなシーンであった。少し無理矢理ではあるがこのように視聴者を救う目的があったのだ。

アイドルの始まり デレマス4話感想

3話はアイドルとしてのスタート。それを受けた4話は「THEIDOLM@STER」1話と同様プロモーションビデオの撮影回だった。他のアイドルを撮影することで視聴者も彼女たちの特徴がわかる便利なシチュエーション(2回目)、1回目の宣材写真の撮影よりもキャラクター像に踏み込んだ内容だ。

とにかく前川みくが可愛かった。と言ってしまえば終わってしまうので、他に何か書く。最初に撮影を行ったのは前川みく。平常時とアイドルの切り替えがあるとわかる。もしかすると一番アイドルを意識しているのは彼女なのかもしれない。お仕事早くきてくれ。次に出会ったのは城ケ崎莉嘉と赤城みりあの年少組。若い力強さを映した作画はとてもよかった。そして年少らを指導する前川みく、良い。ちらりと見える前川みくの嫉妬心執着心良い。場面は切り替わって諸星きらりの紹介。すでにお仕事をしていることを示す、着ぐるみを着ているところからアイマスの下積み回を思い出す。次に映し出されたのは緒方智絵里、三村かなこの二人。2話でも同じような組み合わせだったところからこの二人はセットなのだろう。次はアナスタシアと新田美波の二人。少し大人びた二人にあえて少し可笑しいことをさせることで好感度を上げる、クールタイプを相手にしたからこそできる芸当だ。撮影中、集まったガヤを映すことで彼女たちの現在の魅力を映すのも細かい。そして神崎蘭子から多田李衣菜の流れは厨二病中二病といったところか。最後に双葉杏のピックアップ。シンデレラガールズ全体的にキャラが強烈だ。オチはユニットの発表。主人公組は妥当として、アナスタシア新田美波組が選ばれたのは意外。しかし撮影の時の様子を見るとそうでもないのかもしれない。意外と言えば武内Pが笑ったこともだが。

 「デレマス」4話はキャラクターの紹介を踏まえ主人公たちと他キャラクターの関係さらに全体でのキャラの大体の立ち位置を示していた。アイドルとしての始まり、シンデレラプロジェクトの始まりがそこで描かれている。次回からはいよいよ話が動き出す。彼女たちがどんなアイドルになってくれるのか楽しみである。

キャラクター紹介を2重に行う事

今回「デレマス」で行ったのは2回キャラクター紹介回を作ることだった。アイマスでもキャラクター紹介は行われたが、それはすでに765プロという下地ができたうえでの紹介だった。「デレマス」はシンデレラプロジェクトとしてモバマスのキャラクターから選ばれた14名が新しく空気を作るところから始まった。キャラクター同士がどのように絡むかはすでにプロデューサー業に従事していた人でも想像がつかないだろう。そのための2回。またこれで今後のピックアップの方法が示された。1人でアピールしたり2人でアピールだったり。このキャラクターは今後この娘と絡みますよ、と言わんばかりの取り上げ方だった。

「デレマス」「艦これ」比較

ゲーム内の台詞をキャラクターに言わせること

今回「デレマス」4話の自己紹介の台詞はどうやらモバマスで実際に使用されているものと同じらしい。実際に調べてみると。

「あっ、すいません。音楽に夢中で。ん~、自己紹介ですか? えっと、ロックなアイドル目指して頑張ります! こんな感じでいいですか?」

アイドルマスター シンデレラガールズ@wiki - 多田李衣菜

 確かに似ている。ただ単に入れ込んだというよりはこの台詞から想像できるキャラクター性を台詞に落とし込んだと考えた方がよいだろう。落とし込みでいえば今回の4話金剛4姉妹の脚本も上手だった。今までは何かただ言わせているだけのように感じた台詞がうまく状況とマッチしている、イントネーションを変化させた点も重要な役割を果たしていた。キャラクターをどう動かすか、どのように映すかでそのキャラクターの性質を示すかという点に注目するとやはり「デレマス」の方が現状では上手だろう。しかし「艦これ」も負けていない。ネットの印象とのすり合わせとキャラクターの同一性をもたせるのは骨が折れる作業だろう。ただ違和感を感じるのは脚本家が変わっても同じようにキャラクターにゲーム内での台詞を言わせようとしていることだ。これは作品作りの一つの指標なのだろうか。これに対しての何かしらの示唆があればそれはそれで面白いのかもしれないが。

 

どちらもアニメの○○を作り出すために奮闘しているようすが見られる。ただ単純にゲームを準えたなにかではない、アニメだから存在できるキャラクター。ただ残念なことに今回はっきりしたのはキャラクターを示すには時間が必要だ、という当たり前なことだった。時間のある「デレマス」はまさにやりたい放題。しかし一度で紹介を終わらせようとしない妥協のなさは中々目を見張るものである。「艦これ」もまたじわじわとキャラクター性を出してきている。どちらも作品が終わるころにはアニメの○○が出来上がっているだろう。

 

前回示した通り3話は主人公たちが新しい世界へ入る展開だった両作品。それを受けた4話は「艦これ」は「新しい世界を受け入れる主人公」の話。「デレマス」は「新しい世界の前にもう一度周りを見直してみようという準備」の話であった。「デレマス」は来週から新しい世界が始まる。今回散りばめた内容がどのように響いてくるのか注目したい。「艦これ」もまた然り。新しい世界を受け入れた主人公とさらに新しいキャラクターとの触れ合いが何を引き起こすのか楽しみだ。

 

前回

 

「デレマス」「艦これ」3話の感想と比較 - 短文以上長文未満の妄言

 


TVアニメ「アイドルマスターシンデレラガールズ」オフィシャルサイト

アニメ「艦隊これくしょん -艦これ-」公式サイト

 

 

Febri (フェブリ) Vol.26

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