短文以上長文未満の妄言

ただ書いていく。

「輝きの向こう側」の解釈について

アイカツ!」「AKB0048」のネタバレあり

THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!」という劇場版「THE IDOLM@STER 」が2014年冬に放映された。この副題「輝きの向こう側」とは何か。解釈としては「今のステージの先」「これからの人生」つまり未来が示されていると解釈されていることが多い。ある日ふと私はこれについて考え、そしてこれってアイドルの一つの到達点なのでは?と考えた。そして先日、2014年アイドルアニメ所感 - 短文以上長文未満の妄言に「輝きの向こう側」についての簡単な解釈を書いた。

後輩との関わりで見えるキャラクターの成長、少し大人びた雰囲気になったアイドル達、過去の彼女たちのように初々しい後輩たち。そしてこれからの10年を予感させる台詞。これらはやはりそれまで積み上げてきた過去がなければ実現できないのだと思う。

そして劇中で垣間見れるキャラクターの成長、過去、後輩との関わり、そしてさらなるステージを予期させるライブ。私は「輝きの向こう側」とはこうした過去と未来が現在に重なっている状態をなのだろうと考える。そしてこの状態はある種ファンとアイドルが至る一つの到達点なのかもしれない。

今回はこれについてもう少し議論を深めたい(調べ不足なだけでもしかしたらすでにある解釈かもしれない)。

 

 

現実世界の「輝きの向こう側」

私が第一に考えたのは「輝きの向こう側」を現実世界に当てはめるということだ。例として「松田聖子」を考える。彼女は今でも元アイドルとしてしばしばテレビに出演する。ただ彼女が出演するときは過去の映像がついてくることがある。つまり今の彼女には「過去の松田聖子」が付きまとう。そしてさらに言えばそのアイドル時代からの成長はこれからの彼女を予期させるものだ。つまり「今の松田聖子」を見るということは「過去の松田聖子」と「未来の松田聖子」が重なっている状態になるのだ。そして私はこの状態こそが「輝きの向こう側」だと考えた。そしてこの状態を生み出すにはブレイクするもしくは人々の記憶として残らなければならない。逆に言えば彼女を見ている人がいれば「輝きの向こう側」はくるのだ。

これはモデルケースであり、実際にどんなものかは次から説明する。

AKB0048」の「輝きの向こう側」

ここで「輝きの向こう側」をアイドルアニメに持ち込む。このとき一番最初に出てくるのは「AKB0048」だ。このアニメには「センターノヴァ」という設定がある。この「センターノヴァ」はトップアイドルが人々の気持ちを一身に集めることで「輝き」、そして人々の前から消えてしまうというものだ。まさに「輝きの向こう側」だ。

「センターノヴァ」になったアイドルは「現在」「過去」「未来」に関係なく人々の中に存在し人々を応援する。

先ほど述べた現実の「輝きの向こう側」とほぼ一致するのだ。つまり「輝きの向こう側」とは「「現在」「過去」「未来」の時間が失った状態」と言えるだろう。つまり「現在」の姿に「過去」と「未来」の姿を見るのだ。

AKB0048」はそこに行きつくまでに「過去」である今までの「練習、経験」が「未来」に「消えること」がある。センターノヴァの設定にはもう一つ解釈がある。それは「死」だ。消えてなくなるのだから当然と言えば当然だ。「死」は人の行き着く最後の姿。つまり「輝きの向こう側」の一つの解釈として十分だろう。そしてアイドルはそれによって永遠に人々の心にいることができる。アイドルの全てを見るそれが「AKB0048」だ。

「輝きの向こう側」とファン

「輝きの向こう側」は様々なアイドルアニメから一つの共通点を見出せる。それは「今までの物語」だ。「アイドル物語だ」誰かがそういった。その通りアイドルは物語そのものだろう。そしてその物語を共に作っていくのがファンだ。そしてその物語の先を見出せるようになるのはファンとアイドルが到達点に達したから。だから「輝きの向こう側」とはファンとの間にできた到達点なのだ。

アイカツ!」の「輝きの向こう側」

アイカツ!―アイドル活動!―」もまた「輝きの向こう側」を見せてくれたアニメだ。私はこのアニメの魅力を「長く続いた物語」だとしている。そして劇場版アイカツ!はまさに「劇場版アイカツ!輝きの向こう側へ!」としても文句のつけようがない出来だった。1話からトップアイドルの神崎美月の姿を追い求めアイカツをしてきた「星宮いちご」がそのトップアイドルの座を奪う。私は劇場版アイカツ!星宮いちごに見たのは「過去」の星宮いちご、つまりTV版アイカツ!112話までの星宮いちごが経験してきた姿と「未来」の星宮いちご「これからを引っ張っていく存在」。そしてこれが「輝きの向こう側」かと感じる。ただ私が感じただけでなく実際に劇場版でもそれは示されている。星宮いちごが追い続けた「過去」である「神崎美月」。そして「未来」として「後輩」。アイカツ!の場合、3期の主役は大空あかりだ。彼女へのバトンタッチ、そして彼女がどう活躍するか、それもまた「アイカツ!の未来」。つまり劇場版アイカツ!のメインストーリーを進めた3人で「輝きの向こう側」なのだ。

アイドルの「死」が見たいというのは

私がこの話を今書いたのは以下のツイートを見たからだ。

「生」から「死」までを追うことで彼女の全てを知ることができる。彼女を自分の中に取り込むことができる。人が生まれそして、様々なことを経験し、死に至る。人一人のこれを最後まで見ることができる人などそういない。ただそれは非常に難しい。早死を望む人なんてほとんどいないだろうし。ただ2次元のアイドルならそれを実現できなくもない。ただ「死」を至高の考えだとするのもあまり好きではないが。

ただ、なるほど、こうして考えると「未来」の到達点が「死」でそれ以上の「未来」がない。「死」によって全てが補完される。自分の中にその娘の全てがいることになる。つまり現在の彼女はすでにいないという時系列で「現在見ている彼女」に「死」と「生」が両立している。永遠に「輝きの向こう側」で輝き続ける。

美空ひばりもまたそのような存在だろうか。過去の映像を引き合いに出され永遠に「過去」から抜け出せない、そして「未来」がない彼女は多分見る人にとって永遠に輝いて見えるのだろう。変わらない彼女が人々の心に居座り続けるのだろう。

※注意 ただこのツイートを自分の考えに当てはめただけでこう書いたのであって、確実に本人の意思とは関係ない解釈である。普通に読み取ると「キャラが好きすぎて死まで見たい」ということだ。その解釈だと「死」を描いたAKB0048」に軍配が上がる。

現実の「輝きの向こう側」その2

こうきたら「未来」と「過去」を「現在」に見る状況など他にあるのではないかと思われる。確かにそうかもしれない。思考実験として例えば娘を持つ父親がいたとしよう。彼が授業参観に出席したとする。娘が読むのは父への感謝の作文。この時父親はどんな気分だろう。「過去の娘」そして「未来の娘」を想像するのではないだろうか(これに関しては人それぞれかもしれない)。つまり彼は今の娘に「輝きの向こう側」を見ているのだ。

つまり「輝きの向こう側」って何なのさ

そう考えたときに「輝きの向こう側」とは「対象との関係性における一つの到達点」であり、「現在、過去、未来が混同した状態」と考えられる。つまりアイドルが「輝きの向こう側」を示すためには彼女たちを見守る人がいなければならない。またアイドルが成り立つには笑顔を向けられる対象がいなければならない。つまりアイドルは一対複数の関係で「輝きの向こう側」にいける人ということだ。そしてその「輝きの向こう側」を感じることができるのはそのアイドルを見ているファンのみ。つまりファンによるアイドルの内在化。それが「輝きの向こう側」。

こう考えるとTHE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!」とはファンにこれからのアイマスを予期させ、今までのアイマスを感じさせる。つまりアイマスを内在化させる映画だったのだと言えるだろう。

私はアイドルとは何かという問いに対して「輝きの向こう側」を示せる存在と答える。そして「輝きの向こう側」は彼女たちを見守るファンがいる限り何度でもやってくる。アイドルを止めたときまでそれがついてくるというのは、それこそ真のアイドルなのかもしれない。

 

これが今考えられる私が考えた「輝きの向こう側」だ。書いててわかるがいくつか論理に矛盾がある。実際に書いてて「輝きの向こう側」って結局なんだよとなった。まだまだ思考が必要だ。