短文以上長文未満の妄言

ただ書いていく。

「デレマス」「艦これ」1話の感想と比較 

2015年のアニメが始まり2大ビッグタイトルが放送された。一つは「艦隊これくしょん-艦これ-」(以下艦これ)もう一つは「THE IDOLM@STERシンデレラガールズ」(以下デレマス)だ。

以下ネタバレを含む

 

さてこの両作品を選んだのは両者ともにいくつかの共通点をもっているからだ。

  1. ゲームが原作
  2. 2次創作が先行している
  3. 女の子がいっぱい
  4. プレイヤーの存在

これらの共通点は同時にアニメ化する際の問題点となる。注目したいのは2作品がこの問題点をどうクリアするということだ。まずはこの共通点がどのように問題となるのか整理していきたい。

1.ゲームが原作

艦これ」はブラウザゲーム、「デレマス」はソーシャルゲームを基盤としている。この時、どちらも明確な物語を持っていないということに注目したい。もちろん漫画小説のメディアミックスをしているものの、アニメ化に際して中心となるお話というのがないのだ。同じゲームでも最近始まった「お城プロジェクト」や「Tokyo 7thシスターズ」はそれぞれ物語を持っている。そしてその制約の少なさが自由な創作の足掛かりともなっている。

2.2次創作の先行

物語がなければ自分で作ればいいじゃない。そう言うかのように「艦これ」、「デレマス」ともに2次創作が活発に行われている。その過程で各キャラごとにゲームの設定とかけ離れたファン内の共通設定や共通認識が生まれてしまった。そしてその影響はゲーム内でもある程度反応していることがしばしばみられている。つまりファンの間で彼女たちはこうであって欲しい(あるいは"こうだ")という基盤が作られてしまっていることになる。そのようなファン間の盛り上がりにどう対処するのか、というのが問題だ。

3.女の子がいっぱい

とにかく女の子がいっぱい出てくる。どちらも100人以上の女の子。つまり一人3秒の出番があるだけで300秒、つまり5分も取られてしまう。もちろんただ3秒の出演などありえないだろう、大切なのはどのようにキャラクターを出演させるか、どう絡ませてくるかだ。その絡みにはゲーム準拠かアニメオリジナルか、2次創作準拠か路線を決めなければいけない。

4.プレイヤーの存在

どちらもプレイヤーの存在がゲーム内で示されている。「艦これ」はいわゆる提督、「デレマス」はプロデューサーだ。どちらもゲーム内で姿を現すことはない、プレイヤーがそれなのだから当然ではある。彼らは直接ヒロインたちと触れ合う媒体である。その媒体がアニメでどうなるのかという点も放送前からどちらも注目されていた。

 

共通点を洗い出したところでそれに対して各アニメはどのように対処したのか、アニメの感想を交えて書いていく。

艦隊これくしょん-艦これ-感想-

艦これは授業参観」そんな比喩が放送後にTwitter上で流れてきた。なるほどわからなくもない。そんな内容だった。

物語のアバンは泊地を見つけるところから始まる。蟲師のようなナレーションと共に始まるアバン。このアバンは世界観を説明する重要な位置にあった。艦娘とは何か、今どうなっているのか、どんな感じで戦闘が進むのかそれをわかりやすく伝えるアバンだ。アバン終了時に主人公である吹雪にカットが移る。吹雪は鎮守府に来たばかりの新人艦娘として描かれている。これから彼女の成長物語が始まるのだろう。ちなみに何も知らないキャラクターは状況説明のために大変便利であり、他のキャラクターたちが原作と比べてアニメではどの立ち位置にいるのかを示してくれる。

 鎮守府にやってきた吹雪は提督に出会う。しかし提督の顔は出ない。吹雪が画面の向こう側からこちらを見て「吹雪着任しました!」(※追記 確認したところ「吹雪です。よろしくお願いします。」だった)と言うシーンは視聴者=提督という図式を思わせる。この技法は2度目の登場シーンにも使われている。吹雪にアドバイスをしに近づいた(と思われる)そのシーンでは提督の影が一瞬映るがその影から年齢、性別を判断することは難しい。あくまで「艦これ」において提督はプレイヤー(視聴者)という図式なのだ。

その後、他の艦娘が次々に出てくるのだが、気になることにゲームの台詞をそのまま使ってくる。もはやその台詞を言わせたいがためにテンポをぶちぶち切るような印象すら受けた。ただその台詞を喋ると「やっぱり○○だ!」という気分になる。制作者側の意図はそこだろう。ゲーム内のキャラが動くというのも魅力的だがそのキャラがその台詞を話すことが同一性をより高める。ただタイミングにはいくつか疑問が残る、どちらかというと無理矢理詰め込んだようなタイミングなのだ。それ以外の掛け合いはその艦娘同士の関係を現していてとても良いのだが、その合間に出てくるゲームの台詞は違和感を残すものだった。

艦娘のキャラ付はゲーム重視となった。ただ大井北上のシーンは2次創作準拠なのかわからないものだったが。流石大井としか言えない台詞。この変わらない大井には少し安心した。北上をいつも見ている大井が好きだから。一航戦の二人は2次創作で創られた「大食い」「ポンコツ?」などのイメージを払しょくするものだった。そのためか「自分の知っている赤城と違う」という印象を受ける人が多かったようだ。これが2次創作先行の弊害だろう。制作者が意図しなかった印象がファンの間で異常なまでに浸透してしまっているのだ。(※追記 2話では大盛りの描写があった、2次創作を用いつつもアニメとしてある程度芯のあるキャラ設定となった。個人的には2次創作の設定追加は入れないで欲しかった。しかしながらこのシーンにおいて拒否反応を示した人は少なかった。やはり多くの人の「私の知っている赤城」「他者と共有したイメージの赤城」は「大食いキャラの赤城」なのだろう。)

そんなこんなで敵地に攻め込む艦娘たち。そしてパンチラのラッシュ、あの激しい動きなら必然ではある。しかし某アイドルアニメは1話からパンチラで叩かれたものだったが、今回はそんなことはないようだ。戦闘シーンでもお決まりのゲーム台詞。CGと作画を交互に使いばりばり動く戦闘は画面上でほとんど違和感がなく緊張感、見応えがあった。

ボーキサイト無視の空母の攻撃で勝利した一行。そして通称「一航戦の誇り」赤城に憧れた吹雪は彼女の護衛艦になろうと決心したのだった。

アニメ「艦これ」の主な物語は主人公吹雪が色々な艦娘や戦闘を経験して強くなっていく話だろう。まさに王道だ。そのためのキャラクター性はあくまでもゲーム準拠。そして隙あれば2次創作の有名どころを突っ込んでいくというスタンスなのだろう(那珂ちゃんのアイドル設定の演出とか)。推測だが主人公以外は自分の愛着のあるキャラが喋って動いていればファンは喜ぶ、そういう路線だ。ただあくまでも1話での印象だ、これから誰がどう関わっていくか、誰が成長するのかこれから段々と見えてくるはずだ。そしてこの話の作りをある程度認識している人たちにとって、自分の好きなキャラというのは出てきて動いてさえくれれば嬉しいわけで、それが授業参観たる由縁なのだろう。そして夕雲は出てくるのか。

THE IDOLM@STERシンデレラガールズ」感想

 「デレマスは株主総会」そんなツイートを見た気がする。これもまたわかりやすい例えだ。ゲーム内でプロデューサーとして自分のアイドルを確実にプロデュースするためには課金が必要だからだ。そんな彼らがテレビを見て、さらに他の人に薦める様子は株主お墨付きの内容だったのだと印象を与える。

「デレマス」はすでにデビューしていたアイドルたちのライブから始まる。ただこの冒頭2分がよかった。シンデレラという夢を持った女の子たちが何を目指すか、この物語がどこへ進むかを示している(時系列的に後の映像「前の映像」だということは見返せばわかる。ここですでにプロデューサーはアイドルに出会っている)。

この部分をさらに深読みすると顔の見えない女の子にシンデレラになるためのガラスの靴を拾ってあげるさらに顔の見えないスーツ姿の男性の姿。このシーンは物語の冒頭にあるという位置づけで、物語の始まりは女の子たちにガラスの靴を与えた現実のプロデューサーから始まっているなどと妄想することもできる。そしてライブシーンでの「会場の皆がシンデレラになれるから」素敵だ。

インパクトのある冒頭から始まった物語はアイドルになろうとする元普通の女の子たちの物語。レッスン中の島村卯月の元に訪れたのは346プロのプロデューサー武内P。なんと「デレマス」はプレイヤーであったはずのプロデューサーをアニメ内にも登場させたのだ。あくまでもプロデューサーと女の子たちの物語ということなのだろう。これは「THE IDOLM@STER」と同じ図式だ。そしてシンデレラプロジェクトのメンバー集め。プロデューサー武内Pが奮闘?する。この1話で武内Pの好感度はうなぎ上りだ。強面実直冷静、加えてアイドルをちゃんと見ているなど非の打ちどころの少ないプロデューサー像に現実のPたちも納得したようだ。そんな武内Pは卯月を見事口説き落とし、次は渋谷凛を勧誘しようとする。

アイドルになりたかった卯月と対比して、アイドル志望もなかった普通の女の子だった凛はその誘いを断るが、最後にはアイドルとしてデビューすることを決める。来週にはメインの3人目の子が出てくる。この子もまたアイドルオーディションに参加するくらいにはアイドルに興味があるようだ。

「デレマス」は人数を絞りこむことで1話だけでもキャラクターを掘り下げることができていた。それに加えて従来のファン間の作品イメージを崩さないような作りこみが見られ、他のギミックと合わせても「物語として丁寧」な作品という印象を与えてくれる。これから彼女たちがどんなアイドルになるのか。アイドルアニメの終着点というのは様々である。そしてそこに至るまでに彼女たちがどのようなアイドル活動をするのか、他のキャラがどのようにかかわってくるのか、プロデューサーはどうなるのか。あくまでもキャラクターが登場する物語を創ろうとしている印象を受けたアニメだ。

 「艦これ」と「デレマス」どう違うか

世界観の説明

今までの感想で両作品の違いは見えてきただろう。なぜこの違いが出てきたか、それはコンテンツの性質が違うからだろう。例えば「艦これ」1話は説明回だと言える。その理由として初見の視聴者にとって「艦これ」の世界観は 伝わりづらい物があるからだ。ゲームなら「要はカードを集めて敵を倒す」で理解できるのだがアニメではそうはいかない。一から説明しないと分かり辛いのだ。さらに言えばゲームで出ている攻撃モーションも全て示さなければならない。変わって「デレマス」はアイドルをプロデュースするゲームだ。アイドルをプロデュースするということはどういうことか、こんなことなど物語中で説明すればいい話だ。この世界のわかりやすさが作品を作るうえで難しい。近年のラノベアニメは特に1話が説明回になりやすい。これは現実との差を説明しないとついてこれない人が多いからだろう。設定についてこれない人はすぐにアニメを「切り」たがる、という考えが作る側のイメージとしてついてしまっているのかもしれない。そういう意味では「デレマス」は世界観の説明は少なく余裕をもってスタートできていた。

キャラクターの登場について

「デレマス」は数人に話のフォーカスが当てられたため、その他のアイドルが出てきて会話をする可能性が少ない。だからきちんとした物語の基盤ができ、安定して進む。しかしその他のアイドルが好きな人にとっては、「自分の好きなアイドルの出番は少ない」とある程度心する必要がある。対して「艦これ」はやろうと思えばいくらでもキャラクターを出せるつくりだ。流石に全員は難しいかもしれないができる範囲で多くのキャラクターが主人公と関われる話の作りだろう。つまり最大多数の最大幸福という面で見れば「艦これ」のほうが幸せになれるのではないか(まだ1話なので何とも言えないが)。

この作りになるのはある程度必然的である。「艦これ」の場合そのファンの母数は膨大だ。理由としてはブラウザゲームで誰でも無料で十分プレイできるという点がある。そのため敷居が低く、多くの人を獲得しているので一つの艦娘に対してもファン数が多いと推測される。また即席で誰でもある程度楽しめるのが「艦これ」というコンテンツだったはずだ。

対して「デレマス」のファンは課金している人がほとんどだろう。理由は前述の通りお金を払わないと自分の好きな娘をプロデュース(カードの獲得)ができないからだ。つまり実際に「デレマス」に入れ込むにはお金を払うということが、「艦これ」よりも必要になってくる。そのためプレイヤーの全体の母数的には少ない。恐らく自分の好きなアイドルがレアカードになっていない人にはアニメ化はすでにある程度諦めている点があるだろう。だからこそ物語を楽しいものにしなければならない。

総括 まだ1話

艦これ」と「デレマス」どちらもすでに一定数のファンを獲得し2次創作が多いという点を共通点として比較してきた。感覚としては「艦これ」はプレイしてきた人を中心に楽しんでほしい、あわよくば興味を持って始めて欲しい。「デレマス」は誰でも楽しめるし、あわよくば興味を持って初めて欲しい。という意図が見られている。前者は楽しんできた人の楽しさが波及して広まったゲームだという歴史。後者は誰でも始められて可愛い女の子に会える先駆けという歴史。があるからだろう。つまりアニメ化に際してコンテンツを模したものとなっているという点ではどちらも同じなのだ。

現状ネットにはどちらの作品も賛否両論あるだろう。ただ注意したいのはどちらもまだ1話しか放送していないというところだ。これからどうなるかな制作側以外知る由もない。だから、どうせならどちらも最後まで見てほしい。このアニメ化を通してどちらもファンが増えることを期待する。

*追記 「デレマス」と「ガールフレンド(仮)」を比較してみる

某氏に「比較するなら「ガールフレンド(仮)」(以下GF)だろ」と言われてしまった。ならば書くしかない。ただ私が「艦これ」と「デレマス」を比較したのは2次創作が先行し、すでにあるファンの想像に対して運営側どう対処するか、ファンがどのように反応するかという点が気になったからだ。つまり2次創作が少なく、すでに放送が終了したガールフレンド(仮)は不適当だと考え意図的に除外した。

「ガールフレンド(仮)」を振り返る

「GF」を振り返ってみよう。その内容は学園の女の子たちがキャッハウフフするお話、所謂「箱庭アニメ」だ。1話1話にはきちんと目標があるが全体を通しての物語性が少ない、しかし女の子は可愛く見ているこっちは癒される。さらにキャラクターはゲーム重視で、有名な台詞の連呼もなく順調に進み終わったと言える。ここでどうしてそのようなアニメになったのか考えてみたい。何故かと言うとアニメ「GF」の内容はソーシャルゲーム「ガールフレンド(仮)」とは異なる内容に思われるからだ。

ゲーム「GF」のコンセプトはGoogle検索の「ガールフレンド(仮)」のサイト説明欄を参考にすると、

あの日教室に届いた“君”の声が忘れられない。自分を強くしてくれた運命の“君”にもう一度出会う為、学園で起る様々な試練に立ち向かう。

 

ということらしい。ゲームの目的は主人公(男)が運命の相手を探して色々する感じで、正直目的らしい目的というものが見えない。しいて言えば「自分好みの女の子を見つけその子のカードを集めるゲーム」といったところか。

「デレマス」との比較、主人公の不在

アニメ「GF」は前述のとおり女の子だけがキャハハウフフする箱庭アニメとなった。つまり主人公の存在が消されている。その理由はいくつか考えられるが、その一つとして主人公の存在が消されている。さらに言えば時系列的に主人公が入学、転校してくることもない。どういう事かというとゲーム「GF」で3年生のキャラクターが3年生のままで描かれている上にそのまま年越しまでの話を放送した。つまり主人公(プレイヤー)の入る余地がない。プロデューサーが出てきた「デレマス」さらに言えば提督の存在が示唆された艦これとはエライ違いだ。ではなぜこのような設定になったのだろうか。

その回答の一つに主題が「ガールフレンド」という点が挙げられる。ゲーム「GF」では最初主人公(プレイヤー)のタイプ選択をする。この時3種類のタイプがあるのだが、主人公(プレイヤー)にはなんと絵がついているのだ。これが他「デレマス」との決定的な差だろう。つまりアニメで主人公(プレイヤー)を登場させたとして、1タイプのみ選ぶと他タイプはどうなるの?ということだ。さらにその1タイプに1ガールフレンドをつけてしまうと他のヒロインがないがしろになってしまう。例えハーレムアニメにしたとしても他タイプはどうなるの?といった問題は付きまとう。逆に無個性にするとそれはそれで別キャラクターとなりゲームプレイヤーの反感を買うかもしれない。そういう意味でこの箱庭アニメ化は合理的でとても良い判断だった。

なぜ「デレマス」は箱庭アニメにならなかったのか?

こうなるとなぜ「デレマス」、加えて「艦これ」は箱庭アニメにならなかったのかという疑問が出てくる。その答えとして箱庭アニメは本編を示していないからだということが挙げられる。

「デレマス」はアイドルをプロデュースするといったコンセプトのゲームだ。そして「艦これ」は自分の艦隊を作り敵を倒していくといったものだ。「アニメ化」といったときに「どれが正しいか」というのは無粋かもしれないが、ただアニメ化するのならやはり作品がアニメに直結していて欲しい。と思うのが普通だ。

直結していない例として「進撃のバハムート GENESIS」がある。これもソーシャルゲームを元にしたアニメだ。しかしながら主人公はプレイヤーでも実際にゲームに登場するキャラクターでもない。つまり「進撃のバハムート」の世界観を借りたアニメなのだ。本編の出来は王道かつ良い作画でとても良い作品ではあった。しかしながらこれをアニメ化と言ってよいものだろうか。本当にゲームをやってみたくなるか?そもそもそれは「進撃のバハムート」なのか?といった疑問が付きまとう。

つまり原作と逸脱しすぎた、世界観のみを借りたアニメ化というものが必ずしも良いものだとは限らないのだ。人によってはそれでも良いと思うかもしれない、確かにそれも見てみたい。しかし制作側がこのようなアニメ化を選んだということは彼らはアニメ「THE IDOLM@STERシンデレラガールズ」、アニメ艦隊これくしょん-艦これ-」を作りたかったのだろう。その世界観を借りた「何か」ではなかったのだ。

ただ注意しておきたいのは「デレマス」「艦これ」が箱庭アニメに適していないわけではないということだ。もしかしたら今後そのような動きがあるのかもしれない。

「GF」はどうなのか?

ここで「いやいや待てよアニメ「GF」は本編を示しているのか?」という話になる。ここで再びゲーム「GF」を見てみる。ゲーム「GF」では他のソーシャルゲーム同様イベントのカードを集めることが中心となる。そのイベント内容は大体学生生活中心のイベント、つまり「夏休み」「学園祭」などだ。さらに言えばそのイベントカード、ひいてはイベントにおいて主人公の存在は基本無視されている(レイドイベントはヒロインを主人公が助けるといった形になっている。しかしイベントガチャは女の子同士で楽しんでいたりして主人公の存在がほとんど感じられない)。つまりプレイヤーは学園生活を過ごしている女の子の中から「あ、この娘良いな」と思った娘を集めているのだ。ということはこのアニメ化において箱庭アニメと化したのはある意味で正しい。視聴者はあの中から好みの娘を見出せばよいのだ。あるいはその空間を楽しめば良いのだ。

まとめ

「デレマス」と「GF」を比較した結果、「GF」の理解が深まってしまった。ただ「デレマス」及び「艦これ」がただ女の子たちがキャハハウフフするアニメにならなかったのは少し理解できそうだ。ありがとう「ガールフレンド(仮)」!

 

 

※追記 2話の分も書きました。 

「デレマス」「艦これ」2話の感想と比較 - 短文以上長文未満の妄言